2022年9月現在、iPhone SE(第1世代)にできないこと、できること
2022/9/26
私が高校生だったとき、お母さんはレグザフォンを買ってくれました。
201○年――レグザフォンだのブラビアフォンだの、名だたるテレビの名前を借りて高画質を謳っていたスマートフォンが跳梁跋扈していた混迷の時代。中でも私の掌中にあったレグザフォンの妖気たるやまさに万夫不当。まごうことなきゴミのようなスマートフォンでした(以下、クソみたいなスマートフォンに対する愚痴を割愛)。
それから約10年が経った2022年。みなさんのお手持ちのスマートフォンはなんでしょうか? ギャラクシー? iPhone13? トレンディにiPhone14? でっかいスマホをお持ちのことと存じております。
私はね、これ、iPhone SE(第1世代)。
めちゃくちゃ懐かしいな。今使ってるスマホやけど。
最近愛機のiPhone11ちゃんがぶっ壊れまして、かつて使用していたiPhoneを急遽代打として出動させています。11ちゃんはゴーストタッチが起こるようになり、直ったりダメになったりを繰り返した挙句、初期症状の観測から半年でお釈迦になりました。直接の原因は私がゴーストタッチにイライラしすぎて画面をつよくさわったら液晶もろともガラスがダメになりました。別れは必ずしも美しいものではありませんね。
職場の人「それ、なに?w」
職場の人「スマホなんかちっちゃくないですか?www」
友人「やっぱちっちゃいねぇ」
美容院のお姉さん「ゆるキャンのスマホリング!! 私も好きなんですぅ〜!」
惨めだ。なんで昔のスマホにSIMカードぶっ刺して使ってるだけでこんな辱めを受けなければならないのか。SDGsに配慮した結果のこれだったら気まずいだろ、小さいスマホ使ってる人間に言及するのはやめろ。政治、野球、スマホの話はするな。
というわけで、2022年にiPhone SE第1世代を使っている感想などなど、少し書いておきます。備忘録です。
とりあえず、OSのバージョンは15.6.1(2022年9月26日現在)。iPhone8以降であれば既に16になってるようなので、ちょい古です。ここは思ってたよりまし。
当たり前なんですが、あらゆるアプリの挙動が若干おかしいです。起動した瞬間に落ちるもの、画面の大きさに合ってないところにばつ印が出るポップアップ広告、意味不明な挙動をするコミックアプリ。
それではまずiPhone SE(第1世代)を使っていてよかった〜!なポイントです。
- 小さいので取り回しが効きやすい。スマホリングがあると無敵。
- バッテリーが1時間半ぐらいでなくなるので、必然的にデジタルデトックスになる。
- スマホゲーに耐えうるものではなくなっているので、デジタルデトックスになる。
- カメラの画質が現在のものより格段に落ちているせいか、写真をバカスカ撮らなくなるので、一眼レフのありがたみを痛感する。
徐々に時代に取り残されていっていると感じるポイントは以下の通りです。
- そもそも起動すらできないアプリ(Instagram、Fate Grand Orderなどのソシャゲ)
- よく使うのにクソ挙動をする(Google Maps(ズームなどの挙動がおかしい)、ジャンプ+ なぜか作品を開いた時に一定確率で無限にリロードされるようになる(読めない))
- 意外と健康なアプリがあるが、正直いつ死んでもおかしくないのでそのアプリに依存しないようにする(クレジットカードのアプリ、PayPayなど)
時代はiPhone SE(第1世代)を置き去りにする。
冬のボーナスでiPhone SE(第3世代)を買おうと思います。応援よろしくお願いします。
酩酊。
自室にて 管理人
ではロケハンをしよう。那須岳で爆風を浴びる
2021/10/02
台風一過の土曜日、始発で黒磯へ向かう。宇都宮から各停に乗り換えると(ここもまだ上野東京ラインと呼んでいいらしい)、緩急のついた列車の進行がもどかしい。家を出て2時間ほどが経っているから、ついまどろんでしまう。
駅前からバスに乗りかえ、那須高原を北へ進む。景観に配慮したセブンイレブン、地味にきつい勾配、硫黄の匂い。
標高が高くなるにつれて、紅葉が見られるようになる。今回登る那須岳には、ロープウェイの力を借りて上の方まで行くので1400mあたりの山麓駅で下車。車外は12月の早朝くらいの冷え込み。たまらず小屋に駆け込み、諸々の装備をダッシュで着用する。石油ストーブは鼻腔からも暖かさを伝えてくれる。
ロープウェイに乗るのはほんの数分で、あっさりと山頂駅に到着。およそ3.5時間の道のりだった。
肌寒いくらいの気候だが、日差しのある間はちょうどいいくらいになる。大神が雲に隠れてしまうと、ちょっと落ち着かないくらいの体感温度になる。いうても歩いているとあったまってくるんやけど。
那須岳というのはこの辺りの山々の総称で、今登っているのは茶臼岳という。山頂へ至る道は砂利道が主で、歩きづらいが急所もとくにない。しかし人の往来が激しいので狭いところでは待ちが発生するし、前の人に合わせる必要もある。煩わしいと言ってしまえばそこまでだが、山登り初心者的にはちょっと緊張しているところに人に同調する安心感を与えてくれる。人ごみを嫌いになってはいけないなと思う。
山頂が近づいてくると、だんだんと風が強くなってくる。それと同時に遮蔽物がなくなっていて、山の裏手(西側)から吹いてくる風が直接届くようになっていることにも気づく。どうしようもないので、歩を進める。
とりえず山頂につき、おはちまわりをする。山体が守ってくれていたこれまでとは違って、断続的に強い風が吹き付ける。会話もままならない。
ここの神社には火雷神(八雷神)が祀られているそう。風を鎮めてくれませんか。
避難小屋側に下山して、北の朝日岳を目指すルートをとった。これまで登ってきた道の反対側なので、当然風がおさまることもない。もうシンプルにつらい。体温も奪われるのでフードを被り、その中に風をためながら歩を進める。現在地はすでに雲に呑まれ、雨なのか水蒸気なのかよくわからないもので顔面がしっとりと濡れている。幸いなことに山道に難所はなく、雨風に抗いながら歩くだけでよかったので、初心者にもなんとかなる。しかし寒い。
避難小屋が近づいてくると、開けた場所なので相変わらず爆風なのだが、日差しもあるし人混みも見える。アドレナリンでギンギンの脳が少しづつ落ち着きを取り戻していく。避難小屋周辺は行楽客でごった返し、ジーパンスニーカーのお兄さんも、歩ける格好をしたお年寄りたちも、何泊してはるんですか?な若干名も、ここでは等しく息をつける。しかし爆風なので小屋の陰から出るともう声が聞こえない。ここにいると安心はするがはやくやることやって下山したい。
朝日岳を目指す。岸壁にはりついた道を進む。山体の陰に入るとうそのように凪ぎ、振り返る余裕ができた。防寒具を外し、てくてくハイキング気分に戻ることができるが、ふとした拍子に爆風を感じるとまた装備しなくてはならない。初めてのルート。どれくらいでどうなるのかはよくわからないので、とりあえず手袋だけ外す。ちょっと暑いけどすぐまた寒くなるだろう、次はきっとこんな道だろう。この中途半端を感じる時間がすこし愛らしい。
しばらく歩くとまた、爆風広場である。写真を撮っているともっていかれる。トレーニングも兼ねてザックに重めの機材を余分に入れているので、スンと転ぶ。恥ずかしいぐらいに転ぶ。いつか◯ぬ。
そして馬の背を登る。先人たちがポールや鎖を立ててくれているのでなんとかなっているが、爆風と狭小な足場、崩れかけみたいな登山道。
風の切れ間に、必死でシャッターを切る。曇りがちな今回の山行にあって、急な晴れ間が見れたことは僥倖である。このまま晴れ晴れとした気持ちで朝日岳を踏破したい。
登って降りて、壁づたいして、ようやく広場に出る。ここはベンチも置かれているような休憩スポットになっている。しかし今日に至っては、風が強い。さぁあと一息。
先程の広場から10分ほど登り、朝日岳に到着。「ここってあそこから見えてたあれなのね(経験のある人はわかるとおもいます)」がアツい。憧れのあの場所に今立っている感がすごい。遠目では絶対行けなさそうなところにいつの間にかたどり着くのがすごい。
当然のことだが、ここまでが往路。これから帰らなくてはならない。でもここから見える景色はとても好奇心と旅情をくすぐるものである。先へ進みたい気持ちを抑え、帰路に着く。
馬の背をまた越えるとき、往路以上に体力を使う。風は若干弱まっているが、下りは登ってくる人に気を遣うからなんとなくリズムに乗り切れないまま歩く。しかし頭上には青空が広がり、雲の流れもずいぶん落ち着いている。幸運にも復路はウイニングランの様相を呈する。
往路の避難小屋は全く心休まる場所ではなかったのだが、人溜まりがかなりすっきりしていて中で食事をする余裕もあった。ああ、帰ってきたよ......。カップヌードルを汁まで飲み干し、靴紐を結び直して歩き始める。跳ねながら、山のトイレ事情に文句を吐きながら、下山道を急ぐ......おや、こんなところに散歩で来ている犬がいる。
いざ鎌倉。稲村ヶ崎で日没と富士山を堪能する!!!
2021年1月某日
それなりの時間に起きて、お風呂に浸かる。そこそこに指がふやけたらいろいろ済ませてあがる。18きっぷがなんか余ってた。とりあえず行くか!
正月気分の抜けない街を抜けて、横須賀線へと乗り込む。
いざ、鎌倉(タイトル回収)。
鎌倉駅に着いて、とりあえず腹ごしらえを済ませる。鶴岡八幡宮までの道をぎゅうぎゅうになりながら進む。ここも正月。関東に来て文化の違いを感じるのは、こういったイベントの冷めにくさかなぁと思う。
宮田登がマチはムラを母体にして展開し、独自性を持つに至ったと述べているが、東京やその近郊の都市圏というものは、私が以前住んでいたマチよりも遥かに、母胎となったムラが多いのだと思う。その土地土地の風俗があり、独立しているから田舎の小さなムラのようにいっぺんにぱたっと止むことがない。
熱しやすく冷めにくい、大きな集合体ならではの良さを感じる初めての正月 in 関東平野だった。
由比ヶ浜駅の一つ前(なんだったっけ)を超えて、海を目指す。
今回の目標は太平洋を見ることと、富士山を見ること。
見えた!太平洋が!
角を曲がって右を向いて、左を向いて、道の左側に渡って正面に向き直った瞬間にどぅわっっっっっと飛び込む白波たった紺碧の海水。視界の半分が真っ黒に見えるくらいに自己主張の激しい西日も!眉間に寄ったしわがよる。横断歩道を渡って階段を降りる。
ぱちゃぱちゃしたい。この浜からは江の島が見えるくらいで、その奥に潜む富士山が見えなかったりする(気づいてなかっただけかも)。
あと、風が強い。シェルターコートのフードをかぶる。磯臭い。
写真にしても「うわっ、何?」となるくらいに眩しい西日。
釣り、波、富士山。これがな、現代の神奈川沖浪裏なんよ。
男、撤収。
婆、ばんざい。
都美の吉田博展にいきました。木版っぽくブルーとオレンジの彩度高めに現像。
ランドスケープ、手前の山ほど色が濃くて、奥の山は白くなる。山々の連なりを俯瞰してその土地に思いを馳せる時間もまた、気持ちがいい。
強風の轟音で波の音も聞こえないので、雲の流れる速さを測ったり、あとどれくらいで火が沈むか考えたり、あの山がこれくらいの暗さになったら撤収しようとか、そんな自然に委ねた物事の決定を下すようになる。
良い写真をたくさん撮った帰りに、階段を見つけてちょっと撮る。その先に進まなかったけど、見返すと何故いかなかったのかと自責する。
こうやってまた行かなくてはが増える。
それを諦めるくらいに、行きたいところがある。
2021年2月22日 猫の日 自室にて
「20代の身体じゃないでしょ」
今週のお題「運動不足」
今回のエッセイはマジの注意喚起をします。
運動不足。スタミナないなーと勝手に思っていたけれど、スタミナがなくて困る場面ってシャケの産卵にあたる部分くらいしかないんだよなぁ。とか思っていた大学時代。私はバチバチの文化系でした。
一回やばそうな雰囲気を感じたことがあったな。献血で400ml抜いて、そのあとアルバイトに行ったら立ちくらみがして、事務所でネットサーフィンするはめになった。でもこれはそんなものなのかな。
だって、私一日8000歩歩いてるもん。
休日家に篭る日は100歩とかしかないけれど、外出は好きだし、旅行もするし、仕事でも歩いたりするし、人並み以上には足使って運動してる。でも、パソコンの前で産卵するときはしんどいんだよな。
それくらいに思ってました。私、若い。私、歩いている。だから運動はしている。そんな思い込みがありました。
大学5年目のときに、数年ぶりに整体にかかった。慢性的に体の節々が痛く、腰や首の凝りは生活に支障をきたすレベルだった。
整体の先生が横になった私の筋肉を探る。
「っっおーーーー。」
(なんですか?)
「限界やねぇ。」
は?思わず声が出た。
曰く、これ以上ないくらい筋肉が凝り固まっていて、ほぐすこともできない。なんなら骨と筋肉が固まっているから、矯正も難しい。そんな身体で生きてたの?
「地道にほぐしていくしかないねぇ」
どうしたらいいですか。
「運動するしかないねぇ。」
私、人並み以上には歩いてますよ。
「運動ってのは脚だけでするものじゃないからね。君が限界を迎えている背中や首は、別の運動でほぐしてやらないと。」
運動とは、散歩だけではない。
これを悟るのに20うんねんかかった。
それから多少走ったり、ラジオ体操とかストレッチとか、全身運動を頑張った。少しだけ習慣づいた。すると結構マシになった気がする。スタミナの方はさっぱりだけど、体全体を使うことを意識するだけで、体調や凝りがこんなに変わるなんて思ってもみなかった。
話はとんで、今年。整骨院に通っています。
「20代の身体じゃないでしょ。」
しょっぱなに言われた言葉。
そっか、まだまだ足りへんねやな。
「僕、あなたの担当になります。毎週来てください。がんばって楽になりましょう。」
軽い気持ちで行った整骨院だったけど、自分が難病に冒されてて、主治医がついたような気持ち。
これから自分の身体と向き合ってよくしていきたい。
運動不足のおかげでこんな向上心がつくとは。
さて、ここまでお読みいただきありがとうございました。毎日散歩してるから大丈夫とか、仕事で歩くからとか、万歩計の数字に惑わされんといてください(もちろん歩くのはええことやと思うけど!)。
腕回したり、走ったり、ストレッチしたり、ヨガしたり、球技したり。いろんなところを運動させてあげんと、あなたの身体は錆び付いてしまいますよ。って話でした。
おかしの中の「当たり」を引く瞬間の話
今週のお題「好きなおやつ」
こんばんはぁ。
ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(クソデカ溜息)。
スゥ.......
おやつ中の「当たり」が好きすぎる。
ガリガリ君みたいなガチの当たりじゃなくて、ボリボリ食ってる時に
「おっ、チョコの部分きた」
「おっ、味パウダー固まってるぅ〜」
「ベビースターの割れてないところきた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
と、おかしの中で意図的に(あるいは偶然)価値が高められた部位を口に入れた瞬間のこと!!!!!!
例を挙げていくと、
- スタバのチョコチャンククッキーのチョコ塊
- ベビースターの塊の部分
- ピザポテトの明らかに偏って油で固まった「味」
- チェリオのチョコ芯
- ケーキとかの中の生チョコ部分
- アーモンドチョコのアーモンド(これはなんか違う気もする)
などなど、
「アッ、ここって人を喜ばせるために存在してるな」
「ここだけめちゃくちゃ旨くない???いいんですか???」
となるような、プリミティブに「うれしい」部位を備えたおかしが好き。馬鹿なので。
しかしメーカー側の愚行がたまにあって、
こういうの。(ブチギレ)
――「はき溜めに鶴」...なんですよね...。
微妙な部位があるからこそ、「当たり」が引き立つ。
ソシャゲのガチャから常にSSRだけ出てきたら楽しくないだろぉ!?
うまいもんばっか食ってたらだんだん麻痺してくるだろぉ!?
メリ!!!とハリ!!!!!!!をつけろ!!!!!!!
というかんじで、お気持ち表明でした。
他にもこんな「当たり」があるお菓子知ってるよ!って方は教えてください。
近況 於 でっかい東京
2020年9月27日
こんばんは。
こんばんはぁ。
こんばんわぁ。
「こんばんは」って「は」が正解のはずやのに「ぁ」入れて長音にすると違和感が出る。
うぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜^〜〜〜〜^
東京は砂漠ですよぁ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!
管理人は今年から職人(社会人の意)になりました。都内の出版社で働いています。
昔とった杵柄で人生を回してきたわたしですが、今もどっかで拾ったペンとコミュ力ですんでのところで生を捕まえています。
今年の新卒って、たぶん最悪の年なんやと思うんですけど。これはわたしが語るまでもなく。でも「うちの業界はまぁこんなもんやろ」ぐらいの気持ちです。むしろ若干ではあるが文明化が進んできてて、オフライン主義・現物主義・etc...の出版業界(うちの会社だけじゃなくて業界ぜんたいね)を変える一石を投じたシンコロちゃんだとわたしは思っています。
平日は暇を持て余しつつ仕事を適当に回し、休日は家にこもって暮らす。それで今年の半分ぐらいは消化されていきました。別に家でやることがないわけではないし、やりたいことは無限にある。けれど
(^ω^)「こればっかやってていいのか????」
と謎の葛藤が生まれ、楽しむべきお家ライフを楽しめない。つくづくわたしは義務がなければ動けないなと、ひしひしひしひしなのでした。
この葛藤はわりと一般的なものだと思うし、関東に暮らしている人間からすると関西のガバガバっぷりがムカついてきて、「こいつら切り替え早すぎやわ」とストレスの吐口にもしていました。関西の人たちごめんね。
でも8月ぐらいから気分的にマシになってきて、どこでもかけていくようになりました。新生活との折り合いがようやくついた気がする。
ここを期に、アウトドアを真面目にやりたくなってきて、完全にアレの人になった。お金持ったら野山にかけていく人。
いずれわたしたちは「パパになる」
と、思って山行き始めたら楽しくなってしまって、機材やウェア に凝りつつ懲りもせず慎重に選びながら増改築を繰り返している。
こんな感じで独言ましたが、アウトドアを真剣にやろうかな、くらいの感じになってきましたので、このブログをもっと活用していこうと思います。お付き合い下さいますと幸いです。もちろんこんな感じの適当な近況報告とか、お題とかもやるよ!
では最後に、日記の中からよかった一節を載っけておきます。
帰途につく。御茶ノ水でわかれた男子中学生2人組。かたほうは聾者で、手話と表情でおおぶりな会話を重ねる。別れ際、電車の中で手を振りあってべつべつのドアから降りる。おなじ駅で降りるというのに、ここが岐路のよう。都会の「またあした」はこんなもんなのか。彼らが特殊なだけなのかなぁ。へんに映った二人を見ながら、新鮮な気分でこれをつけている。
外のことがわからない
今週のお題「外のことがわからない」
こんばんは。今回はお題で書いてみます。
「わからない」事はたくさんあるんですけど、「外」というワードがちょうど感じていたことに合致したのでこっちで投稿。
さて、「外」というと、なんだか人のいない寂しい感じがするのはわたしが田舎者だからでしょうか。
最近東京に越してきて、外に出ると、人、人人(この時期だから普段より少ないんだろうけどね)。東京のお外は寂しいものではないんだなと実感します。
もう少しマクロに「外」を捉えましょう。
わたしの中では、自分たちの住んでいるところ(=人のいっぱいいるところ)から離れた、「人のいないところ」は、「外」です。生活圏の「外」と「内」ということですね。
例えば、地元が四国なので自転車で山に向かって30分も走れば、人家はまばらで暗い山に駆け込めてしまうわけです。だから、それを思春期には利用して、半ば瞑想のために入山していました。別に家庭内の環境が悪かったとかではなくて、人のいないところでひとりになるために、「外」を求めていました。頭を冷やすために。
ここで大事なのは、人がいないだけでなくて、ビルとか建物とか、人跡もあまりない方が好ましいということです。さびれた商店街とかでは微妙なんですよ。
で、「外」の存在はほんとに定期的に欲しくなって、大学時代も六甲山とか越えて、原付走らせて頭冷やしに行ってました。
こうやって、ひとりの時間がほしくて人気も人跡もないところに行ってるって人、少なくないと思うんです。
しかしですよ、この東京に来てみて改めて地図を見たんだ。
外、なくない!?
いやほら、もっとこう...緑で航空写真に映る土地をさ、広くしてさ...。
今まですぐそこにあったものが、どこにもない。いやまじできつい。
あと、これもキツイんですが、
都内、川がない。
ここでいう川は、荒川とか隅田川とか、ルーキーズで毎週見てたようなやつじゃなくて、
こういうの。護岸工事が適当なやつ。
今まで住んだ土地は、山入ってもう少し走ればこんくらいの川がありましてやな...。
わたしの心のよりどころ、「外」はこういった、緑だったり川だったり、自然に囲まれた土地なんです。
それがすぐそばにないし、遠出も憚られるような時期になってしまい...。探しに行くこともできません!!
関東の「外」ってどこかわからない
わけです。
ほんとまじで「外」行けてないから潜在的なストレスがマッハ!
関東に生まれ、育った人たちはむしゃくしゃしたとき、どこで発散するんでしょうか。
外を求めてないのか、それとも、やっぱり荒川なんですかねぇ...。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
もしよかったらコメントで、関東人の「外」はどこなのか教えてくださいな。
当方荒川区です。オネシャス。