人間50年、蝦夷は150年
時は2017年の夏、9月中旬。北の大地のど真ん中で牧歌的という概念を煮詰めて美味しくいただいてみるみたいな、ここは日本ですと言ってもきっと嘘だと思われてしまう、むしろ私はこの富良野の郊外に足を伸ばしながら絶対ここはドイツとかその辺りなのだと信じて疑わなかった。
ここはパッチワークの丘と呼ばれる土地で、起伏の激しい丘に無限に田畑を拡げ日本の食料自給率を底上げしている。
一度ここをレンタサイクルで回って欲しい。というか普通にマイカーで巡ってくれてもわかると思うけど、丘が連なっている光景というのはものすごく魅力的な代償に、便利が悪すぎる。本当にしんどいのだ。この富良野という土地の開拓が進んだのは詳細にはわからないけど、北海道開拓は 19世紀後半明治時代から進められた。だからこんなバカみたいに上り下りが大変で、傾斜のせいで水周りの管理も面倒で、危険な動物が跳梁跋扈するこの土地で、開拓師団はおそらく、絶対、きっと、もちろん、ものすごく苦労したし豚の飯を食って死んで死んでものすごく屈強な一部も死んで、私たちの今を作ってくれたのだろう。
ライト層の私にとってもの凄く印象的だったものとして、荒川弘『百姓貴族』(新書館)で語られている、農業・酪農の不便さ、理不尽さ。荒川氏自身が作中で語る苦労を見るだけでも吐き気が襲うのだが、開拓師団の一部である晩成社の依田勉三が味わった無謀にしか見えない苦行を見るにもっともっと絶望感に溢れた世界だった。明治時代の蝦夷というものは。
ご先祖様が試されまくってそのおかげか多少楽にはなっているかもしれないが、今でさえもこの北の大地に試されて試されて試されて、日本の農業を担ってくれている。北海道、ありがとう。マジでありがとう。ありがとう。大好き。
こんな人間の力だけではどうにもならないレベルの偉業を成し遂げる功労者。うま。あ、馬。帯広で観られるばんえい競馬は、普通のサラブレッドみたいな馬じゃなくてもっと馬鹿でかい馬が重石を積んだソリを牽く、馬力をこの目ではっきりと観られる最高のエンターテインメント。荒川氏の『銀の匙』でも登場し、それが好きすぎて来たんだが昼から夜の閉場までいて5000円吸ったけど全然気にしてないほんと(うそ)。作中で八軒がばんえい馬を初めて見るシーンでは、黒王号みたいな馬として描かれているけど私自身、初めて観た瞬間馬が黒王号のコスプレしてると思ったね。これはほんと。
夕張という街は炭鉱の町として栄え、結構最近と呼んでいい具合の過去に財政破綻した。地名の由来はアイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)」かららしく、マジでそのままだなという印象。私の中では夕張といえば軽巡のおねえちゃんになってしまうのだが。
新夕張の駅舎は伽藍堂。何もないがあるという言葉、よく使われるが何もないも度がすぎると、本当に「有」がなくってただただ真っ暗な洞を見つめているみたいな焦燥感にも似た恐怖が襲ってきたりもする。私はこんなのも嫌いではないので駅舎で寛いでいると、地元のオババに大量のメロンの漬物と、ひとパックの炊き込みご飯を賜るイベントが発生した。ものっそUmaい。メロンの漬物って意外とイケますよ。私が貰ったのは自家製のものだったけど。そういえばこの土地はメロンで有名なのだった、と後から気づく。
ちょっとだけ街の生命が残る。私が探検したのはいまいちどこなのかわかっていないのだが、電車の沿線を辿って3駅ほど歩いてみた。
歩道のバス停に貼られた表を見ると、一応日に何本か走っているとのことだったが、私には捕まえられなかった。
時計は止まっていた。
この駅も伽藍堂の仲間。ギリギリ廃墟。
やかんが打ち捨てられることはなかなか無いじゃないか。貴重な拾得物だったかもしれない。
ドアーは、開かなかった。
先ほども語ったように、北海道に本土の人間の手が入ったのはほんの1世紀前のこと。その百年間、無我夢中で開発されて激変した北海道は逆にいえば100年で絞り尽くされた悲運の土地なんだって考えてみてもいいんじゃない。100年の財政破綻はホモデウスじゃないけれど、インフレーション的に発展していく近現代の文明の行く末をみてるみたいで大好きです。もろびと、はやくほろびろ。
文明の灯はいい。碁盤の目に並ぶ街灯は人間の帰巣本能と理性を思い出させてくれるからなお良い。
札幌。街中を移動する時はもっぱら徒歩で、たまに遠くまで行くのに路面電車をチョイスする私はきっと果報者。もっと行こう、もっと行こう。激しく空いた車内でうとうとしながら目の裏に星を見る。この旅のなかでなぜか一度も夜空を見上げたことがなかったなぁなんて後悔をしながら飛行機に乗ってた時間は、今思い返しても私らしいなぁと思う。そんな私らしさが嫌いです。